「○○だから愛される」って、もうやめよう。

「こうしなければ人に愛されないのだ」という恐怖に迫られて、何かを差し出す。そんなことをすればするほど、自分を愛せなくなるのよね。

いい子でいなきゃ愛されない。

いい女、いい男でいなきゃ愛されない。

いい親、いい夫、いい妻でいなきゃ愛されない。

いい上司、いい先生、いい部下、いい生徒でいなきゃ愛されない。

いい人でいなきゃ、いい人でいなきゃ、こんな自分なんか、誰にも愛されないんだ。

そう思いながら無理することを、もうやめよう、と思うんです。それで愛されるのは、「愛されるために無理している状態の自分」でしかないもの。」

まきむぅ(牧村朝子) (@makimuuuuuu) | Twitter より

 

これ読んで、今まで思い出しもしなかった場面が

感情を伴ってフラッシュバックした。

 小さい頃から大きくなるまで、

母親に何か手渡される度、

もしくは何か買ってもらう度、

「いい子でいなければダメだからね。」

渋る時は、

「お前は、すぐ駄々をこねるから嫌だ(あげない、買ってあげない)」

と言われてきた。

何かを手に入れる為に、

わたしの人格だったり態度がいつも引き合いに出されていた。

欲しいものを我慢すると、良い子と言われた。

 

なんかおかしくないか?

良い子だから与えられる。

良い子は欲しいものを我慢する。

 

 

手に入れられるわたしは、良い子。

手に入れられないわたしは、悪い子。

物を手に入れる行程と、わたしの人格が勝手にリンクしていたのだ。

だからだったのだろう、

手に入らないものがある時、

わたしは全て自分のせいだと思い込んだ。

手に入れたいものがあっても、

躊躇して手を引っ込めた。

 

良い子でいて、親にこっちを見てもらいたかった。

親に認めてもらいたかった。

それだけなんだけど、

ダメだった。

わたしは、わたしのまんまで見てもらいたかった。

 

これを引きずっていたんだ、きっと。

自分ではない何者かになったら、

きっともっとかわいがってもらえる。

もっとずっと大事にしてもらえる。

そうやってずれてしまってた。

 

今は、ありのまま、のびのびと

認めてもらって育ったような

自分のことを自然に大事にできている大人が羨ましい。